もんでん奈津代さんインタビュー ~賢治作品の英訳にあたって~ その2

もんでん奈津代さんに宮澤賢治の短編を英訳するにあたっての思いなどをお尋ねし、全3回の連載でお届けします。

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それまで日本に住んでいて、「世間の人々には、自分はちょっと変な存在なのだな」という感じがしていました。転校が多い家庭だったのですが、転校先でいじめられっ子になったこともありました。だけど、アメリカやカナダ、イギリス出身の友だちは私のことを「とてもユニークだ」「面白い」と認めてくれました。その人の前で自分のままでいられる、というのが英語で話す友人たちだったんです。どうも日本人だけと付き合っていたから、「自分は変だ」と思っていたけど、「外に出てみたら、こんなに認めてもらえるんだ!」と感じたのが、英語を話す世界だった。

率直にものを言っても、「え?」という反応をされない。日本の友だちからは引かれてたような話でも、英語圏の友だちは「すごく面白い」「洞察力が深い」と言って、どんどん話を聞いてくれる。

 

20代の私は日本語を話している自分よりも、英語をしゃべっている自分の方が自分だという感じがしていました。私の論理的にものを考えてズバッと言うところ、オブラートに包まないところが、西洋の論理世界にぴったり合っているんだろうな、と思いました。日本の文化にある、場の雰囲気で丸め込むようなところが苦手でした。英語の場合は、”A is B.”と明快です。英語なら何でも思っていることを言える、自由だ、と感じていました。

 

しかし今回、英訳する予定の賢治の作品を読んで、「この世界、とても深く響いてくる。けれどこの感じ、私は英語では触れてない。…西洋世界とは違うところがたくさんあるな」と感じました。

英語で、西洋の明解な論理構造で、頭で深く物事を追求してはっきり述べる、そういう明解な世界では見当たらない表現。頭で理解しようとしても、「わからない、何それ?」となってしまうような世界。

賢治は不思議な言葉をたくさん使っています。よくわからないけど、感覚で「そういう感じ」と、ふわーっと入ってくる。

 

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「その3」に続きます。