今年の中秋の名月は十月一日。日本ではすすきを飾ったりお団子を作ったりしてお月見を楽しみます。
一方、中国の中秋節といえば月餅ですね。この間、月餅は月信仰で月神にお供えするためのものなのかという質問をいただきました。
そうですね...とても遠い昔の話になりそうです。
天地がその姿形を成す前の状態は「混沌」と呼ばれる。そこに「盤古」という人物が現れ、斧で「混沌」を切り裂くと、長い年月をかけて天地は分離していった。盤古自身も分かれていった天地と共に巨人化していき、計り知れない時が経った末に死んだ。盤古が死後、その左目は太陽に、右目は月になり、あらゆる組織器官や生命現象は森羅万象へと化した。
それが中国神話における「天地開闢」の言い伝えである。
なので、中国(漢民族と言ったほうがより正確なのかもしれない)の古典的認知では、太陽と月が神格化されていない。その代わりに、それらを一連の事象とみなしてより大きな枠の中で捉えようとするのです。
そのような考え方の片鱗が、賢治の『ビジテリアン大祭』に登場する陳さんの雄弁でも垣間見えるのではないでしょうか。
ずいぶん脱線しました...
満月と同じ形をしている月餅は、家庭円満や家族団らんといった素朴な願いがそこに込められているから親しまれているだけなのかもしれません。
仰ぎ見るごと。想うこと。願うこと。十五夜の月を「望」とも呼びます。