謹賀新年

遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。

 

ケア塾茶山では、2020年3月の第31回より宮沢賢治の短編を読んできました。

ご参加くださったみなさま、ありがとうございました。

 

2021年は『農民芸術概論』からの幕開けとなります。

問いかけと宣言から構成されたこの非常に簡潔な文章を、

西川勝さんの手引きのもと、みんなで味わい、話ができればと思います。

 

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           宇和島の牛鬼」 制作:尾川知さん(ココペリ121スタッフ)

 

本年もみなさまのお越しを心よりお待ちしております。

 

1月12日(火)、第41回ケア塾茶山は『農民芸術概論』を読みます。

 全文は青空文庫にてご覧いただけます。

 https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/465_13824.html

第41回ケア塾茶山は宮沢賢治の「農民芸術概論」

今年最後のケア塾茶山にご参加いただいたみなさま、ありがとうございました。

 

『ビジテリアン大祭』をさらに読み進み、

食べるという行為は本当に他の命を取ることなのか?

善悪とは? 人間至上主義とは?

など、西川勝さんからの問題提起のもと、みなさんの意見を聞きながらいろいろ思いをめぐらせました。

 

 

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年の改まる次回に『ビジテリアン大祭』をもう少し読むか、次の作品に移るかどうしようか?と話し合い、別の作品『農民芸術概論』を読んでみよう、ということになりました。

 

次回(第41回)1月12日(火)は『農民芸術概論』を読みます。

 全文は青空文庫にてご覧いただけます。

 https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/465_13824.html

 

来年も、みなさまのお越しをお待ちしております。

「どこ迄が動物でどこからが植物であるか」

11月も最終日となりました。コロナウイルスという目に見えない小さな存在に翻弄されながら、2020年が過ぎ去ろうとしています。

 

宮沢賢治『ビジテリアン大祭』に「一体どこ迄が動物でどこからが植物であるか」という命題が登場します。

この問いに「なるほど」と思う一方で、それに対する反論にもうなずけるところがあり、どっちつかずなもやもやした感じでおります。

 

そんな折、一つの動画に出会いました。

 


Bloom Dance : HDR 4K Flower Timelapse (50種類の花の開花映像)

 

花たちの美しさ、まるで動物のような躍動感、そしてその儚さにも目を奪われます。

長い間そばにいて、じっと見つめ、

早回しにすることで初めて見えてくる、現実の姿があるのですね。

 

「一体どこ迄が動物でどこからが植物であるか」

 ーーこの世界の、どこに、どのようにラインを引くのか、あるいは引かないのか

 

『ビジテリアン大祭』に込められているのは、この問いだけではありません。

みなさんと一緒に読み、味わい、お話しできることを楽しみにしております。

 

* 次回ケア塾茶山 第40回 12月8日(火) は、

  宮沢賢治『ビジテリアン大祭』の続きを読む予定です。

  途中からのご参加も歓迎です。 

  全文は青空文庫にてご覧いただけます。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/2589_25727.html

 

 

 

 

 

第40回ケア塾茶山は宮沢賢治の「ビジテリアン大祭」(2回目)

昨日はご参加ありがとうございました。

西川勝さんナビゲートのもと、『ビジテリアン大祭』の冒頭部を読みました。

鍋をつつきながら、私たちと食べ物との関わりについて話し合い、楽しく興味深い時間となりました。

 

次回(第40回)12月8日(火)は『ビジテリアン大祭』の続きを読む予定です。

途中からのご参加も歓迎です。

 

全文は青空文庫にてご覧いただけます。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/2589_25727.html

 

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もんでん奈津代さんインタビュー ~賢治作品の英訳にあたって~ その3 (最終回)

もんでん奈津代さんに、宮澤賢治の短編を英訳するにあたっての思いなどをお尋ねしています。連載3回目、最終回です。

 

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賢治の作品は私がこれまで英語で表現しようと考えたことのない世界、私が内に向かう、一人になった時に楽しむ世界でした。賢治の世界と英語の世界、それらは私の中にある両極端な世界のように感じました。私が愛しているアメリカやカナダの友人たちに「こういう世界があるんだよ」と、うまく表せるならぜひ読んでみてほしいと思うのですが、きっととても難しい作業になるだろうな、と思っています。

 

言葉にならない世界をあえて言葉にして伝えようとしているのが宮澤賢治の作品なのだと思います。私は賢治の作品を読む時には、よく音読します。頭で理解するのではなく、詩として読んだ時にボワボワボワーンと奥から不思議に広がってくる。そんな作品なので、意味として英語に訳すのは本当に難しいだろうな、と思うのです。

 

今回の英訳にあたり、これまで私が使っていた英語では不十分で、一つ一つ言葉を深く調べなくてはならないと感じています。そして作品の中で、どんな情景が目の前に広がっているのかというイメージを、私がありありと体で感じるということがきっと一番、必要なのでしょう。

とはいえ賢治は、作品の中で言葉を通してイメージを広げているのですから、結局は言葉でしかありません。賢治は言葉の選び方にとてもこだわっていました。何回もいろんな色で書き直された賢治の原稿用紙。私にとってもそういう作業が大事になってくるんだろうな、と思います。

 

例えば『マグノリアの木』に出てくる「諒安(リョウアン)」という人物の名前。「諒」という字は「真実」という意味、「安」は「安らぎ」。つまり、「真実を認めることによって、初めて安らぎを得る」というのが「諒安」という名前のもつ意味なのだそうです。初段階では「私は」と一人称で書いていたのを、この名前の主人公に変えた賢治。仏教思想と法華経に帰依していた賢治にとって、この名前にした意味は深く、これは「訳者註」で説明する必要があるだろうと思います。

 

一つ一つの言葉に対しどの言葉を選んでいくかというのは、私にとって大きな挑戦です。

 

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もんでん奈津代さんプロフィール

在野の南太平洋生活研究家・ツバル語英語 通訳/翻訳/教師。

著書『子連れ南の島暮らし』『ツバル語会話入門』。

ホームページ「天国に一番近い島ツバルにて」 http://monden.daa.jp/tuvalu.html

ツバルの離島、ナヌマンガ島での直近の8ヶ月の島暮らしをマンガに描いています。 https://note.com/mondennatu/m/meba8fc37584b

 

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もんでんさん、英訳にあたっての思いをお聞かせいただき、ありがとうございました。翻訳作品を楽しみにしています。